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音楽との出合い
中 村 里 美 2002.10
 テレビのない家庭で育った私は、同世代の人たちが知っている流行歌を知らず、カラオケも大嫌いで、いつも誘われないように上手く逃げていました。とにかく音のする場所がとても苦手でした。学生時代、一度だけディスコに行ったことがありますが、メチャクチャ大きな音が鳴り響く中で人々が我を忘れて踊っている姿は、私にとって大変ショッキングなものでした。10分間もその場にいられず、友達をおいて一人で外に出てびっくりして泣きながら帰ったのを覚えています。「音楽がないと生きていけない」という人に時々会うと、一体それはどういう感覚なのだろうと本当に不思議でなりませんでした。
そんな私ですが、思い返すと小さな時はよく歌を歌っていた記憶があります。今でこそ開発され、近所に様々なお店が立ち並ぶようになってきましたが、小さな頃は缶ジュース一本を買うにも田んぼのあぜ道をずっと歩いて、ずいぶんと行かなければならないような所に私の家はありました。
北海道大学で生物学を専攻し、福知山で旧制中学の校長先生をしていた明治生まれの祖父は、70歳を過ぎてから畑を耕し、念願の自給自足の生活を送るために、子供たちの住む東京の郊外に移り住んできました。私の家は、年老いた祖父母の介護をするため、祖父母の家の隣りの畑の一部に建てられていました。
今ではすっかり様変わりしてしまいましたが、子供の頃は、家の前は山で周囲には田んぼが広がっていました。オタマジャクシの観察をしたり、レンゲの首飾りを作って自然の中で遊ぶことと、歌を歌うことが幼い頃の楽しみだったように思います。歌といっても知っている歌もなかったので、いつも自分で勝手に作ったメロディーに勝手に作った意味不明の歌詞をのせて永遠と一人でいつまでも歌っていて、それがなぜかとても楽しかったのを覚えています。
そういえば、いつから私は歌を歌わなくなったのでしょう? 小さな頃、無意識にいつも歌っていた歌は、大人になっていくプロセスの中でいつの間にか消えていって、気が付くと歌を全く歌わなくなってました。
そんなある日、仕事に追われ雑誌の締切直前の忙しい時であったにもかかわらず、気が付くとコンピューター上に新規画面を立ち上げ、どんどん湧き出てくる言葉を打ち込んでいました。それまで思い出すこともなかった、十数年も前にネバタの砂漠で見た真夜中の月が突然記憶の中から甦って詞となった「ムーンライト」、もしかしたらまだ本当には癒されていないのかもしれないずっと昔の自分への歌" We love You"が同時に出来上がりました。一体これはどうしたことだろうと思いながら、気分転換にお風呂に入って湯船につかると、メロディーが浮かんできたので、とりあえずそのまま取材用のテープレコーダーに吹き込んでみました。
それは、大人になってから、まったく音楽に関心のなかった私が、その後歌を作り歌い始めるきっかけとなる最初の出来事でした。
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