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足下に咲く花にも気づかなかったあの頃
中 村 里 美
最近では、毎朝起きて顔を洗ったら、まず庭に出て花に挨拶をする事から一日が始まる。そして、花に水をあげてから仕事をスタート!! 今ではそんな日々を送っている私だが、以前の私は、庭に咲いている花さえ見た事がないような生活だった…。
今から10年近く前、母が大病をして手術をした。あと6カ月の命と言われた母だが、お陰さまで今でも元気に一緒に暮らしている。手術後、退院した母が私に言った言葉が今でも忘れられない。
「あそこに咲いていた赤い花がなくなってる…」
小さな低い声でそうつぶやく母。
「赤い花!?」
私は何の事かさっぱり分からなかった。
当時私は、洋書売り場で売られている外国人向け雑誌「ひらがなタイムズ」の編集長をしていた。朝早く出て、夜は毎日終電、あるいは徹夜で会社に泊まり込む毎日だった。スタッフの給料を稼ぐ事、この雑誌を世界中に広めて行く事に命がけだった。「行って来ま〜す」と朝家を出て、「ただいまぁ〜」と夜遅くに帰ってくるものの、自分の住んでいる家の庭を見た事もなかった。土日、祭日はなく、年末は31日まで。年始は2日から仕事をしていた。家は眠るために帰ってくる場所でしかなく、庭に何の花が咲いているのか全く気にとめた事もなかった。
夢や目標を持って前に進むことは素晴らしい。でも、それがどんなに素晴らしい夢や目標であっても、それを追うために、今はしかたないと気にもとめずにいる多くの中に、本当は見逃してはならないたくさんの事が含まれていたりする。その後の私の仕事は、結果を求めるよりもプロセスに心を配る形へと変わって行った。プロセスを大切にする事によって結果を出せなければ、人からは「甘い」「現実味に欠けている」と批判を受ける時もある。しかし、大きな歴史の流れの中で、私の人生そのものもプロセス。目的思考に走り結果のためにプロセスをなおざりにして本末転倒していったものは、一時的に成功をおさめたとしても、果たしてどうなのだろうと疑問に思う。ただがんばり続け、がんばることで生きていることを実感しながら、同じがんばりを他にも望んでいた昔を振り返る時、いつも思い出すのは母のあの時の言葉だ。
あの時、気づかせてもらえなかったなら、足下に咲く花に気づかないまま、もの凄いエネルギーで周り中を吹き飛ばしながら「これが現実だ〜」と言いながら今も生きていたかもしれない。
そう、あの時がなければ、今の私はないだろう。
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