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肩書きを抜きにした、一個人としての心の交流
中 村 里 美 2006.November(PlazaPlaza77号 ハッピートークNo.4)
すっかり秋となりました。プラザプラザの秋のイベントといえば、日本語学校語学留学生の祭典です。今年で8回を迎えるこのイベントは、毎年50ヵ国以上4000人〜6000人近くの日本語学校生が集います。今年も約15校の日本語学校が授業の一環として参加する予定で、日本語学校生の進学先である大学・専門学校のブースや企業の紹介ブースの設置、在留資格関係手続きの相談、そしてプラザプラザが担当する国際交流フェアが2006年10月20日に開催される予定です。
毎年国際交流フェアでは、学生からシニアまで200人近い方々にご協力いただいています。書道・茶道・組紐・着付け・折り紙などの日本文化体験ブースや日本語交流サロン、縁日コーナーなどが設けられています。そして舞台では、日本語学校生による出し物や民俗舞踊・楽器演奏などが行われます。また、JR新大久保駅で誤って線路に落ちた人を助けようと線路に飛び込み、帰らぬ人となった韓国の青年・李秀賢さんを顕彰して設立されたエルエスエイチアジア奨学会による、日本語学校生への奨学金授与式も同時に行われています。
この祭典の時期を迎える度に、今から20年前、日米協力草の根プロジェクトの民間大使としてアラスカに行った時のことを思い出します。日本文化紹介を兼ねたヒロシマ・ナガサキの被爆者の体験とメッセージを伝えに渡米した22才の頃を思い返し、今ある自分の原点となったその時の体験に思いをはせます。
その時の体験を通して、異文化コミュニケーションの大切さと難しさを強く感じたことが、今の私の活動のモティベーションとなっているからです。自分の目で見て感じることの大切さと、行動していくことによって道が開かれ広がっていく可能性を知る貴重な経験でした。
大手のマスコミから伝わってくるニュースは、どうしても事件になったもの等が中心となってしまうため、そうした報道だけを聞いて、その国やその国の人々を判断したり知ったつもりになってしまうことがあります。
「それも事実だが、あくまでも一部の事であり、全てではない」そんなこともたくさんあります。海外の人が日本を見る目と日本の中での現実が違っていることもあるように、また自分の国を見てみても、国民の代表とはいえ政治家の行っていることと国民が思っていることに温度差がある場合も多くあります。情報を鵜呑みにするのではなく「本当は分からない…」という健全な懐疑心と自分のフィルターにかけて様々な情報を判断して行く能力を培うことの大切さを知りました。
今でも、かけがえのない体験をさせてくれたアラスカやこれまで訪れた国や地域で、何か事件や事故が起きると人事ではなく心配になります。そして、そんな時思い出すのは、生まれ育った環境や個性によるいろんな違いはあっても、泣いたり、笑ったり、怒ったり、ドキドキしたり、心配したり、人のために何かしてあげたかったり、時々自分勝手に振る舞ってしまったり……傷ついたり、傷つけたり、嬉しかったり、悲しかったりする自分と同じ人間が、大好きで大切な人たちがそこにいることです。
アラスカでの体験は、国籍・民族・宗教・イデオロギー・世代・職業など様々な違いを超えて、Face
to
Faceで人と人が触れ合う中で培われた友情を通して生まれる絆の尊さを教えてくれました。それは私が、政治家でも、宗教家でも、学者でも、企業人でもなく、ただの若者だったから体験できたことなのかもしれません。利害関係や様々な立場やしがらみの中で社会を動かしている大人たちから見れば、「現実は甘くない」と言われかねないことかもしれません。しかし、世の中がどう見えるか、人がどう見えるかは自分次第でもあります。何でもないただの自分が、一人の人間として様々な人々と向き合う中で学ばせてもらったことは数知れません。
肩書きを抜きにした一個人として、国境を超えた人と人との交流を通して、異文化交流に関心を持ち続ける原点はその体験にあると思っています。
日本語学校語学留学生の祭典も今年で8回目となります。「夢と希望に胸を膨らませて日本にやって来た学生たちに、少しでもステキな思い出をつくってもらいたい」そんな思いで毎年この祭典のお手伝いをしています。
せっかくやって来たのに日本を嫌いになって帰って行く学生たちも少なくないと聞きます。日本を訪れた学生たちに日本が第二の故郷だと感じてもらえる、そんな国であったなら……そんな国でありたいと願いながら、これからも毎年続けて行きたいと思っています。

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1986年、マサチューセッツ州バークシャーコミュニティーカレッジの教授レイスロップご夫妻と日本の中学校教師北浦葉子によって始められた日米協力草の根プロジェクト「ネバーアゲイン・キャンペーン」の第1期民間大使として渡米。アラスカを中心に、オレゴン、カリフォルニア、オハイオ、ニューヨークなどで日本文化の紹介を兼ねたヒロシマ、ナガサキの被爆者の体験とメッセージを伝えていた頃の筆者。
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