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黒澤明監督作品・映画「生きる」をみて
中 村 里 美 2006.5.9(Weblogぷらっとハッピー日記)
黒澤明監督の「生きる」をみた。 十代の私がみたら、さぞかし感銘を受けただろうなぁ〜と思う作品であった。
「生きながら、死んでいる」状態。それは、私にとって十代だったからだ。その反動でなのか、20歳を過ぎてからは、おもいっきり自分を生きてきたと思う。
そして、この映画からのメッセージに反して、なぜか私はちょっぴりこの主人公がうらやましくもあった。
人は、社会に出て行く中で、また、大人になり家族を持つなかで、守るべきもののため「これが現実だ」と自分を納得させながら、その日の糧を守るために忙しさに追われ、「生きる」ことの意味を問う事すらせずに日々を送ってしまう場合もあるだろう。
市役所で市民課長をしているこの映画の主人公は、早く妻と死に別れ、男手一つで息子を育て、可もなく不可もなく30年間黙々と働いて来た。生気がなく機械的に書類にハンコを押し続ける主人公の映像と共に皮肉なナレーションが入る。
「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えない」「いったいこれでいいのか?この男が本気でそう考え出すためには、この男の胃がもっと悪くなり、それからもっとムダな時間が積み上げられる必要がある」
この主人公は、胃ガンとなり、どんな事をしてもごまかすことの出来ない自分の死を前に、「生きる」ことの意味を問い始める。そして最後に、この主人公は、残された命で、市民からの陳情に応えて最後の力をふり絞り、汚いドブを埋め立てて公園をつくるため、さまざまな困難を乗り越えてその目的を達成する。 そして、彼は雪の降る夜、その公園で胃ガンによる出血のため亡くなった。 お葬式の際、主人公がどんな思いで死んでいったかについて、職場や家族の人々があれこれと語っているが、その心境は謎のまま映画は終わっている。
「人はなぜ生きるのか」
いつかは死ぬと分かっていても、いざ自分の死を目の前にすれば、きっと誰でも動揺してしまうだろう。うろたえている主人公が心の支えにしたいと願った一人息子は、すでに結婚して自分たちの生活に一生懸命。そんな息子に自分の病状を一言も相談する事もできないまま主人公は死んでいった。
「生きる」意味を問い直す前のこの主人公の仕事への姿勢にはとても疑問をもつが、妻に先立たれながらも必死に子供を育てあげてきた彼は素晴らしいと思う。しかし、どこかで自己犠牲を払ってきたという意識が、すでに親離れしている息子とのコミュニケーションを難しくしているようにも感じた。
なぜか、私には、もし主人公が死の宣告を受けた後に、最後の仕事を成し遂げなかったとしても、彼の人生は本来素晴らしいものであったように思う。未だに自分でつくった家族を持たない私だからそう感じるのかもしれないが、主人公が目の前に突きつけられた死の恐怖を乗り越えて行く上で、それまでの人生全てを否定しなければならなかった事がなぜか悲しく思えてならない。
Today is the first day of the rest of your life!
これは21歳でアラスカを訪れた時、友人から授かった言葉だ。今日という日は、老若男女を問わす誰にとっても、自分自身に残された人生の最初の一日である。毎日が出発点!そんな新鮮な気持で、この瞬間を大切に、これからも日々生きて行こうと改めて思う。
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