ショーン・ペン監督作品
映画「イントゥ・ザ・ワイルド」

中 村 里 美  2008.9.21(Weblogぷらっとハッピー日記)

「人生において必要なのは、実際の強さより強いと感じる心だ……自分の頭と手しか頼れない過酷な状況に一人で立ち向かうこと」という文字が、山手線にゆられながらドア付近に立っていると、ふと目に入った。

映画「イントゥ・ザ・ワールド」の宣伝広告だった。

  「愛よりも、金銭よりも、信心よりも、名声よりも、公平さよりも、真理を与えてくれ」

存在の真理への探求の旅に、主人公が選んだ場所はアラスカだった。

かれこれ20年以上前、冬のアラスカを体験した私は、この映画を観にいってみたいと久々に強く思った。。

 1992年の夏、アラスカ州の荒野でこの映画の主人公となるクリストファー・マッカンドレスという若者の死体が発見された。裕福な家庭で育ち、大学も優秀な成績で卒業していたクリスの衝撃的な死は、当時マスコミに騒がれ、その後登山家でジャーナリストのジョン・クラカワーによって衝撃のノンフィクション小説「荒野へ」が発表され、ショーン・ペン監督により10年の歳月をかけて映画化されたのがこの「イントゥ・ザ・ワールド」だ。

「人生の楽しみは人間関係だけじゃない。神はあらゆる所に新たな楽しみを用意している」

2年におよぶアメリカ横断の旅の中で、さまざまな人々と出会いクリスはたくさんの体験をしていく。その中で育まれた友情や恋心、家族のような関係も、すべてを振り切ってただひたすらクリスは北をめざす。

「北へ行くんだ。ひたすら北へ向かう。僕一人だけの力で、何にも頼りたくない。荒野のど真ん中でただ生きるんだ。特別な場所でその瞬間を」そういって、アラスカを目指すクリス。

アラスカに行く前、クリスがメキシコに立ち寄った際、そこで彼が目にした現実を映し出す画面の一部に、現ブッシュ大統領の父親が大統領だったころの映像がとても短くワンカットだけ流れる。

湾岸戦争時と思われる国民に向けたテレビ演説で「世界は待てないのです」という大統領の言葉がテレビのブラウン管から流れる。思わず「世界は待てない」というその世界とは一体誰の事を言っているのだろう? クリスの放浪の旅に心を奪われている観客は、一瞬戸惑ってしまうのではないか、と思われる程にクリスの心は、ただひたすらアラスカへと向かっている。

「偽りの自分を抹殺すべく、最後の戦いに勝利して、精神の革命を成し遂げるのだ。これ以上文明に毒されないよう逃れて来た。たった一人で大地を歩く。荒野に姿を消すため」


民主主義であれ共産主義であれ、いかなる宗教であれ、これが自分だと思い込んでるアイデンティティーのすべてがクリスには偽りに見えていたのだろう。政治的な反抗は、クリスにとっては表面的でしかなく、彼にとっての革命は彼自身の精神の革命以外にあり得なかった。

2年の放浪の末、最後で最大の冒険が待つアラスカへ。クリスは、精神の革命を成し遂げるためにアラスカへ行く。

私個人の話に戻るが、クリスが向かったフェアバンクスには3ヶ月程滞在していた事がある。クリスとの大きな違いは、私にとってのアラスカは大自然よりも、そこに住む人々との交流だった。冷戦当時の20年以上前の頃のことだ。
「核戦争が起きたら一番先に狙われるのはアラスカだと思っている人たくさんいるんです。自分たちは最後まで生きられないと思っている学生がたくさんいるんです」
そう語っていたアラスカの高校教師の言葉をふと思い出しながら、私はこの映画の続きを見ていた。

アラスカの大自然の中で暮らし始めたクリスは、日々持参した食料が減っていく中で、参考書を片手に野生の植物の採集を始める。そして、食べてはいけない植物を口にし、大自然の罠にかかってしまう。

衰弱しやせ細っていくクリスを描いているシーンの中で、彼の何倍もの大きさの熊がクリスの目の前に突然現れる場面も印象的だった。

その映像を見ながら、私がアラスカにいた同じ時期にアラスカで写真家として活躍されていた故星野道夫さんのことが思い出された。星野氏は、大自然の中で数メートル先の熊を写真におさめるその瞬間も、銃を持つ事なくシャッターを切っていたという。

衰弱しきっているクリスの目に、確かに熊の姿が映ってはいても、クリスは恐れを感じてはいなかった。体力的な限界というよりも、絶望の極みの明け渡しの心境をクリス役のエミール・ハーシュが見事に演じている。しかし、その明け渡しによって、真理を求めてひたすら努力して目標に向かていた時には見えなかったものをクリスは悟り始めているかのようだった。

真理は達成できるものではなく、すでにそこにあるものなのかもしれない。

思考がとまり、静寂さの中で、為すことがなにもなくなり、自身の偽りをすべて落として、ただ在る自分。自己との出会いを果たしたクリスの心は、憎しみを抱き、許す事が出来ず、旅にでる原因ともなった両親の元へと戻っていく。

「もし僕が笑顔で、腕に飛び込んだなら…見てくれるだろうか。今、僕が見ているものを」

クリスがもし今生きていたなら、どんな生き方をしていただろう?本当はそこが知りたい。



作家・城山三郎は、著書「無所属の時間の中で生きる」の中で、原作小説「荒野へ」に寄せたエッセーを書いている。
「……生きるとは、シンプルなようで、実はシンプルではない。若者クリスは家族から脱け、社会に背を向け、はじめから「無所属」の身として出発。自律自尊の誇り高い生き方を貫こうとした。そのためには、まず自立自存のための方便と知恵が必要であった。妥協という事ではなく、前提条件として。そのことは、国や年齢を超えて、今の私たちの問題でもある」


そう、それは私自身にとっての課題でもある。

 また、アラスカの写真家の星野道夫氏とこの映画の主人公二人が無所属の時間を選んだ事を孤独と表現されていた。その点においてのみ私は違うと思う。私は彼らは孤独ではなかったのではないかと思う。いや誰もが自分でかかえなければならない孤独はもちろんある。しかし、きっと彼らはもしそう生きなければ、もっと深いやりようのない孤独の中に埋没していったことだろう。

 AloneとLonlyの違いをそこに感じる。

  




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